県短の周辺探索

鹿児島県立短期大学周辺の史跡

 

 

鹿児島県立短期大学の周辺にはいくつかの史跡があります。

 県短周辺 Google地図リンク

 


目次

1 歩兵第四十五連隊跡 正式には、第六師団歩兵第四十五連隊の跡地である。現在の鹿児島県立短期大学一帯にあった。
2 玉里庭園 現在の鹿児島女子高等学校の敷地内に存在する。島津家由縁の日本庭園。
3 お由良屋敷跡 由良騒動で有名な薩摩藩第二十七代藩主斉興の側室、お由良の方の屋敷
4 妙谷寺跡 正式には、覚照山妙谷寺の跡地である。島津義久や、平田靱負に所縁のある寺院でした。
5 忠節小蔵之碑 江戸時代に存在した、「小蔵」という忠節者をほめ伝えた記念碑

 


詳細

1 歩兵第四十五連隊跡

 第六師団歩兵第四十五連隊は、明治30年(1897)に開設され、その後昭和20年(1945)までの48年間、県下の若者たちの鍛錬の場になった。連隊跡は、現在の玉江小から旧鹿児島西高校付近です。当時の面影は、県立短期大学の正門(当時の営門)、裏門、楠の大木(正門近く)、県短付近の石塀(兵営を囲んでいた)が残るのみである.

 

2 玉里庭園

 1835年、第27代島津家当主斉興によって建てられた日本庭園です。現在は国指定名勝となっています。1877年の西南戦争で焼けましたが、島津久光によって再建されました。しかし、太平洋戦争で再び焼けてしまい、現在は茶室と庭園が残っています。現在は跡地に鹿児島女子高校が移転しています。現在一般にも公開されています。

入場料、アクセスなどはこちらから → http://www.tamazatotei-teien.jp/

 

3 お由良屋敷跡  お由良の方は、第27代島津家当主斉興の側室です。斉興の寵愛を受け、正室弥姫の死後は正室同様の扱いを受けていました。現在にも伝わる島津家のお家騒動「お由良騒動(高崎崩れ)」の中心人物でもあります。そのお由良の方が住んでいた屋敷は現在民家として伝わっており、池などは当時のまま残っています。場所は伊敷病院の裏です。

 

4 妙谷寺跡  覚照山妙谷寺は、薩摩藩曹洞宗寺院の中で三番目の寺領を持つ寺院でした。島津家第16代義久公の位牌はこの妙谷寺に安置されているため、義久の菩提寺と言われています。この寺院は、福昌寺九世桂山棟守和尚によって伊敷の不動院に開山され、島津義久が現在の場所に移しと伝えられています。また、宝暦治水で有名な平田靱負の遺髪も埋葬されたと伝えられています。妙谷寺は現在、ほとんど墓地・畑・住居となっていますが、住職墓二十基が残り、その中には鹿児島では珍しい型の無縫塔(僧侶の墓塔)があります。場所は玉里町中福良です。

 

5 忠節小蔵之碑  小蔵は、文政元年(1818)三月二十三日に下伊敷村萩原町に生まれ、小野家三代に仕えて病気の主人の暮らしを助けほねおり慰めました。主人が亡くなった後は墓参りなど、真心尽くしたので、郷里の人々は皆感動した。彼の忠節ぶりは高く評価され、薩摩藩主からも褒美米が下賜された。そんな、忠節者小蔵の伝承が記録されている。

 

 


最後に

 今回取り上げた史跡は上記の5つだけですが、県短周辺にはまだまだ史跡があります。下伊敷一帯には江戸時代のものを中心に豊富な歴史資産が隠れているのです。ぜひ自分で調べて、隠れた名所を発見してみてください。また、鹿児島県立短期大学の関係者や、訪れる機会のある人は空いた時間などに興味を持ってのぞいてみるといいかもしれません。歴史の足跡をたどって、楽しんでみてください。